今年で45歳になった私は、今から23年前 国内の製薬会社に就職を決めた。
父が病院薬剤師という職業にあった関係で私自身は「製薬会社」へ就職することに対しては何ら違和感を感じる事も無くこの世界を選んだ。 父親は薬局長という仕事柄、薬局へ情報提供と称し日参する製薬会社営業マン(当時は、プロパーと呼ばれていた)に息子がなることに複雑な心境だったに違いない。
「だから、薬科大学へ行けと言ったのに...」ポツリと親父が呟いたのを覚えている。
今となってはその選択にどれ程の志があったのかも忘却の彼方というところだろうか。 しかし、「くすり」を通して社会貢献をして生きがいを得られる仕事であろうと信じていたことは偽りのない事実であった。
現在でもそうだろうと思うのだが、薬科大学出身ではない学生にとって(薬科大出身でも同じかも知れないが)、製薬会社の営業マン(現在はMRと呼ばれている)とは、一体どのような仕事をするものかいまひとつ明確ではないと思う。 病院や医院へ赴いて医師、医療従事者に対して自社医薬品の優秀性や有効性、更に副作用情報などを提供して歩くのだな ... くらいの印象ではなかろうか。
また、概ね製薬会社は高収入を得ることができて、福利厚生も充実していて仕事の相手は医師ということから人気が高い職種でもある。
このコラムをはじめるにあたり、23年間の製薬会社勤務の間に体験してきた様々な出来事や感じてきたこと、そして、昨年、医業経営コンサルタントとして独立にいたる経緯、そして現在の仕事の様子などを順不同(思いつくまま)に書き連ねていくつもりでいる。
北海道で生まれ育ち、道内のあちらこちらを出張で走り回り、東京本社を経験したり本州勤務を経験したり、転職を経験したり、良い時も悪い時も、当たり前のように(誰でも経験するように)経験しそして今では45歳の『おやじ』になれた。
新人で製薬会社に入社した場合、そこから約半年間からそれ以上(会社により違いはある)、研修が行われるのが通常である。ホテルや研修センターと言われるところに「缶詰」にされて朝から夜まで勉強するのである。
人体の基礎から製薬会社の仕組み、倫理規定、添付文書、製品基礎知識、疾病、薬理 その他、多岐に亘る業界、製薬、医療に関する知識や情報をみっちりと頭に叩き込まれるのである。 実際、叩き込まれてはいるが、こぼれ落ちる量も同量に近いものがあったような気がしている。(実は私は真面目な新入社員ではなかった)
さほど運動をすることも無く、時間通りに「食事」が提供されて太る社員も多発した。
長期間の研修が終わり、配属が言い渡される。
私は予定通り地元、北海道勤務となった。
しばらくは先輩同行をしながらその仕事ぶりを学んでいく。
「解らないことや疑問があったら何でも聞いてね。」という優しい先輩がいたり、「俺は仕事のやり方を教えたりしないからな。 自分で盗むものだからな。」(って先輩、それは怠慢じゃないんですか?)という先輩がいたりとユニークな方が多かった。
先輩の後ろについて先輩がDr.と会話している姿を眺めている...そんな感じ。
製品の特徴や世間話や、ゴルフの話や夜のネオンの話などなど。
私はまだまだDr.と話なんてできる余裕も製品知識も乏しくひたすら先輩の後ろについていただけだった。
ある日、強面の係長と同行した時である。
「その黒い営業カバンにはいつでもDr.と話が出来るように資材を入れておけよ。」と言われ、「はい、わかりました」と準備をして係長の汚くてタバコくさい営業車に乗り込んだ。
ある地方都市の市立病院に到着。
「ここの病院はな... 」
ひととおり、採用製品や施設概要を聞かされたうえで病院内へ。
最上階にある医局。 面談のゴールデンタイムは昼休み。
各科の部長は個室を持っていて、廊下の左右にずらりと並んでいる。
「まずは、皮膚科の部長に会うからな。挨拶の名刺を用意しておけ。」
「わかりました。」
係長は突然、笑顔を作り皮膚科部長の部屋のドアをノックした。
「○○先生、○○製薬で御座います!」
中から野太い声で 「おお。 入っていいぞ。」の返事。
「失礼致します!」 係長は私を前にしドアを開けた。
すると突然、私の背中を思い切り突き飛ばして私を部長室の中に押し入れた。そのまま、係長は部長室に入ることなくドアを閉めて姿を消したのである。
前につんのめりながら私は一人、皮膚科部長の前に転がり出た。
大柄な皮膚科部長は文献からゆっくりと顔をあげながら私を睨み、そして静かに言った。
『君は、何者だね?』